~東京事務所長です~
八百比丘尼伝説って、ご存知でしょうか。
「八百比丘尼」とネットで検索してみると、日本各地に似たような伝説があります。地域によって、「やおびくに」、「はっぴゃくびくに」、「おびくに」と呼び方は様々です。
今回は津市安濃地域に伝わる八百比丘尼伝説を紹介します。津市では、「八百比丘尼」と書いて、「やおびくに」と読みます。
およそ千数百年もの昔、津市安濃町草生の神子谷(むこうだに)に、気立ての良い美しい娘が住んでいました。村一番といわれるほどの娘で、「お里」と言いました。
お里は村の念仏講で、津市河芸町の「別保の浜」にあがった人魚の話を聞き、いつまでも美しく長生きをしたいと仏さまに願い、夢の中で人魚の肉を食べてしまいます。
人魚の肉を食べると不老不死を得ると言われていました。
しかし、願いはかなったものの、50年、100年経っても姿かたちの変わらぬお里は村に居づらくなり、若狭の国へと旅立ちます。若狭の国でもお里は苦労ばかりで、いろいろな国へ旅をしましたが、同じことでした。
そして、とうとうお里は尼になることを決心し、尼として仏に仕える姿で、数百年も離れていた故郷神子谷へ帰ってきました。お里にとって懐かしい故郷。昔と変わらない神子谷。
お里はそんな故郷で、数百年も会っていない家族や隣人を探すのですが、当然見つかりません。
独りぼっち・・・。
そう思うと、お里は美しく、若くいられることより悲しさが・・・。人の道を外れた自分自身が哀れになる思いでした。
このような日々を送る中で、仏に尽くすことと、村人の難渋な相談ごとに余念を尽くしていました。
悲しさが募るそんな日々を送っていたお里は、仏の慈悲を願い、夢の中で人魚の肉を吐き出しすことができました。
こうやって、この世を去ることができたお里は、最後に「黄金の鳥と縄とを朝日照る夕日輝く 二つの葉のもとに埋めたければ、他日草生の衰亡の時来たらばこれを掘り出せ」という一言を残してこの世を去ったと伝えられています。
簡単に八百比丘尼伝説について紹介しました。「永遠の若さ」を得ても、この世で生きていくことは難しいのですね。
八百比丘尼伝説の舞台となった常明寺跡