「広報津」平成23年4月1日/第127号(音声読み上げ) 歴史散歩(59)

登録日:2016年2月25日

裏表紙

歴史散歩(59)

津偕楽公園と桜

 今年も桜の便りが聞こえる季節となりました。津で桜の名所の一つとして知られるのが、津駅近くの津偕楽公園ではないでしょうか。
 津偕楽公園のある場所は、江戸時代の初めごろは藩主の鷹狩り場として「御殿山」などと呼ばれていました。後にこの辺りの土地は、藩に功労のあった家臣に分け与えられました。今も県庁付近が「吉田山」と呼ばれるのも、弓道師範の吉田六左衛門に与えられた土地であることに由来し、他にも「くらんど山」(中川蔵人)、「はやと山」(藤堂隼人)などと呼ばれる場所がありました。
 幕末近くの19世紀中ごろ、津藩11代藩主の藤堂高猷は、安濃川左岸で眺望の良いこの辺りの土地を家臣から買い上げ山荘造営を計画します。文政6年(1859年)に完成した山荘「偕楽園」は、園内の舎亭の扁額にあった「人々が偕に楽しむ」
という意味から名付けられた名前です。
 山荘の造営にあたっては江戸から庭師や植木職人が呼び寄せられ、自然地形を巧みに利用した野趣あふれる庭園が造成されました。この時呼び寄せた庭師や職人は、津藩江戸下屋敷があった「染井」(現在の東京都豊島区巣鴨から駒込周辺)に働く職人で、ここは植木栽培の土地として有名です。
 この地で品種改良されたのが桜の代表品種でもある「ソメイヨシノ」です。オオシマザクラとエドヒガンザクラの交配種で、桜の名所の奈良吉野山と染井の地名にちなみ、明治時代に名付けられました。染井に下屋敷を構えていた津藩が、新種の桜をいち早く導入した経緯ははっきりしませんが、染井の職人を津に呼び寄せていることとも関係がうかがえます。
 ところで、高猷が偕楽園を造営する以前の文政年間(1820年代)、先代藩主であった父高兌は、城下の南にある千歳山に三千本にも及ぶ山桜を植栽した記録が残っていますが、この時の桜は定着しなかったようです。
 その後、30年の時を隔てて造園された偕楽園は、明治4年の廃藩置県の後に一時国有地となった後、明治10年には旧藩主からの寄付を受けるなどして「三重県公園」となりました。明治23年には津市に移管され、大正・昭和の時を経て今に至っています。かつては大規模な博覧会場に利用されるなどしましたが、今は「偕楽」の名のとおり、桜の名所として市民の憩いの場となっています。
 長い歴史をもつ津偕楽公園。園内1,500本の桜は、今年も間もなく満開の時を迎えます。


記事の先頭へ 目次へ


18ページ目から19ページ目へ  

このページに対するアンケートにお答えください

このページは見つけやすかったですか?
このページの内容はわかりやすかったですか?
このページの内容は参考になりましたか?

このページに関するお問い合わせ先

政策財務部 広報課
電話番号:059-229-3111
ファクス:059-229-3339