「広報津」平成23年11月1日/第141号(音声読み上げ) 歴史散歩(66)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(66)

中勢鉄道の路線跡をたどる

 津市本町の津球場公園の西側に、かつて軽便鉄道の駅があったのは半世紀以上も前のことです。ここ岩田橋駅を起点に、久居駅を経由して雲ず川沿いに進み、めいしょう線の伊勢川口駅に至る20.7キロメートルの営業区間の中勢鉄道。今に残る痕跡から路線の面影をたどってみましょう。
 岩田橋駅から南へ延びる軌道は、国道23号大倉交差点の辺りを通り、紀勢本線を渡線橋で乗り越えていました。現在も石積みの橋脚が1つだけ残っています。この先の軌道は、久居相川町の相川駅手前まで県道に吸収されており、東側の幅広い歩道部分が軌道跡です。路線中の難所であった青谷の上り坂を越えたその先、相川駅から久居駅までは近鉄名古屋線と並行しており、西側に細長く続く空き地がその面影を残しています。
 久居駅は現在の近鉄久居駅西口ロータリー付近にあり、機関庫、転車台、給水塔などが設置されていました。ここから軌道は成美小学校の南を通って県道に吸収され、やがて国道165号に合流します。戸木町内に一部軌道跡が残るものの、おおむね国道と重複しており、当時の面影をしのぶことは困難です。庄田町に入って国道が2車線となり、しばらく進むと七栗駅に至ります。軌道跡はここから大きく南にカーブして国道を離れ、現在は生活道路となっている水田の中へと続きます。長野川を越え、雲ず川沿いに進んだ先の石橋駅は、近鉄大阪線と交差する手前、エノキの巨木がある辺りです。この先、いちし町大仰の誕生寺駅跡にはプラットホームの一部が残り、案内板も立てられています。ここからしばらくして軌道跡は道路から外れ、雲ず川に注ぐ支流(大村川など)にはいくつかの橋脚が残っています。
 近鉄大三駅の南東の辺りが伊勢二本木駅の場所です。ここから南下し雲ず川を渡りますが、左岸にはコンクリート製の、右岸には石積みの橋脚が残っています。この先軌道跡は道路となってめいしょう線と並走して伊勢川口駅に至ります。かつての中勢鉄道は同駅の北側に発着。ゲートボール場の西端にわずかにプラットホームの痕跡が残ります。
 明治41年の部分開業から大正14年の全線開通、そして昭和17年の部分廃止を経て昭和18年の全線廃止に至るまで、中勢鉄道は地域の基幹交通機関として多くの人に親しまれました。しかし、近鉄の前身である参宮急行電鉄の路線延長やめいしょう線の開通などの影響を受け、短期間でその役割を終えました。


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