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かつていちし町を中心に産出した砂岩は、「井関石」とも呼ばれ、地域の特産品でした。この石は加工がしやすいことから、周辺の常夜燈や民家の土台石などによく使われていました。
今回は市内にある井関石の石造物を紹介します。
中河原に「子安地蔵」で知られる地蔵院があります。
境内の西側にタモの巨木があり、そのたもとに大きな家形石棺を再利用した石棺地蔵が祭られています。6世紀に造られた石棺は、縦に据えられ、その内側に素朴で大柄な地蔵が彫られています。この石棺は幅が140センチメートルあり、いちし町井関にある県指定文化財「延命寺の石棺」(幅100センチメートル、長さ210センチメートル)よりも幅が広いことから、県内最大の家形石棺と考えられます。裏側には図のような縄掛突起の一部が残っていて、石棺のふたであることがよく分かります。
白山町上ノ村にある成願寺には、境内にいくつかの巨大な石造物がみられます。中でも山門の右側には、身長約200センチメートルの地蔵が建てられ、永正16年(1519年)と記されています。板石の地蔵としては県内最大級と考えられます。また山門の左側には、不動明王が建てられ、享保20年(1735年)の銘があります。両者は昭和33年に山門へ移されたもので、それ以前は境内に祭られていたようです。
今回紹介した石造物は、いずれも最大40センチメートルの厚さの井関石が用いられています。その素朴で大柄な造りから、何とも言えぬ表情があり、地域の人々から親しまれています。
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