「広報津」平成24年3月16日/第150号(音声読み上げ) シリーズ 津のひと・もの(18)

登録日:2016年2月25日

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シリーズ 津のひと・もの(18)

被災地での経験をまちづくりに

 昨年3月11日の東日本大震災では、無数の人命と貴重な財産が奪われました。津市では、発生直後からこれまでに78人の職員を現地に派遣し、被災地の支援に取り組んでいます。
 あれから1年。派遣された職員の中から中央保健センターの栗本真弓さん(保健師)と建築指導課の水谷聡志さん(技師)にお話を伺いました。

■栗本真弓さん
[昨年4月2日から6日に岩手県陸前高田市へ派遣]

 発災後23日目に、三重県の保健師派遣チームとして被災地に入り、担当する地区の3避難所を巡回して血圧測定や健康相談を行いました。
 避難所では、被災や集団生活のストレスで、血圧上昇や不眠、イライラ、胃の調子が悪いなどの不調を訴える人もみえました。感染症も起こりやすく、避難所では個人の体調管理がとても大切です。換気に気を配ったり、体を動かすよう声掛けしたり、巡回診療への受診を勧めるなど、きめ細かな支援に努めました。災害時など「かかりつけ医がいない」状況では、持病の経過や飲み薬の内容、お子さんの予防接種歴などを自分や家族が説明できることが重要だと感じました。
 見渡せば家々の基礎だけが残り、折り重なる車と破壊された線路や鉄橋。積み上がるがれきは、一つ一つが生活の痕跡です。しかも被災者は、想像を絶する恐怖とストレスにさらされています。スタッフ自身も相部屋の宿所に寝袋で寝泊まりする毎日で、自分の体調にも気を配りながら、さまざまな思いを抱く被災者を前に保健師として一生懸命活動しました。限られた期間でしたが、こうした経験を今後に生かし、日々の健康づくりの重要性を広く市民の皆さんに伝えていきたいと思います。

■水谷聡志さん
[昨年10月1日から12月31日に宮城県山元町へ派遣]

 震災から約半年後の3カ月間、山元町の教育委員会で小・中学校の補修に携わりました。報道で、被災地の状況はある程度知っていたつもりですが、一面の更地が海まで続く光景を目にすると、絶句するしかありません。できる限りのことをやるしかないと思いました。
 山元町に7つある小・中学校は、2校が津波で壊滅、残り5校で授業が行われていました。その5校も被災して、壁に亀裂が入ったり天井が落下したり、配管が壊れた一部のトイレやプールは使えません。子どもたちが普段どおりの学校生活を送れるように、こうした校舎の修繕を一刻も早く進めなければなりません。被災した数多くの公共施設の中で、町は学校施設の復旧に全力を注ぎました。
 建築職は私1人でしたので、設計や国・県の補助申請、工事の発注・監理など、山積する事務に懸命に取り組みました。業者さん自身も多くの復旧工事を抱える中で、公共工事を、2カ月から3カ月で目に見える形にするのはとても困難でしたが、遅れていた復旧工事の着手に何とかめどを付け、次のスタッフに引き継ぐことができました。
 今、日本中で震災や防災に対する関心が高まっています。こうした意識を将来にわたって持ち続け、取り組みを怠らないことが大切です。そういった心構えを持って、災害に強いまちづくりにつなげていきたいと思います。

 被災した市民生活を立て直すために何をすべきか-。復興に携わった職員の貴重な経験をまちづくりに生かすため、市では来年度も継続して被災地へ職員を派遣することを決定しました。

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