「広報津」平成24年7月16日/第158号(音声読み上げ) 歴史散歩(74)

登録日:2016年2月25日

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歴史散歩(74)

弘田龍太郎 津市にゆかりのある作曲家

 今日、誰もが一度は歌ったことのある童謡、「靴が鳴る」「浜千鳥」「雀の学校」「春よ来い」などを作曲した人物、弘田龍太郎氏。今年、生誕120年を迎えます。龍太郎氏は、明治25年(1892年)6月30日、現在の高知県安芸市に生まれました。
 津市との関わりは、明治35年(1902年)11月に、父弘田正郎氏が千葉県師範学校(現千葉大学)校長から三重県 立 第一中学校(現三重県 立 津高校)校長に赴任することになり、一家が津に転居したことに始まります。このとき10歳の龍太郎氏は、養正小学校に転入し、卒業後、三重県 立 第一中学校に進学して、津でおよそ7年間の少年時代を過ごしました。
 中学校時代は、無口な方で、こつこつと勉強するタイプの生徒であったといわれています。このころ、作曲家としての片りんを示すエピソードに、中学一年生当時の明治38年(1905年)、日露戦争の戦勝報告が入り、町中で旗行列やちょうちん行列が行われ、太鼓やラッパの楽隊が行進すると、その曲を聴いてすらすらと譜面に起こしたといわれます。
 中学卒業後は、東京音楽学校(現東京芸術大学)に進み、在学中から作曲活動を始めています。龍太郎氏が最も精力的に作曲をしたのは、大正7年から8年(1918年から1919年)ごろです。この当時、子どもにもっと自由な夢や感情を訴える新しい児童文学・芸術運動を目指した児童文学雑誌「赤い鳥」に作曲家として協力したことがきっかけでした。この頃から、およそ5年ほどの間に、今でも歌い継がれる童謡・歌曲が生まれ、龍太郎氏の作曲活動のなかで最も花開いた時期でした。そして、少年時代を過ごした津の情景などは、その創作活動に影響を与えたといわれています。
 晩年は、幼児教育に重要性を感じて、長女夫妻が創設した幼稚園の園長になり、幼児のためのリズムなども作曲して、音楽を幼児教育へ積極的に取り入れました。しかし、昭和27年11月17日、60歳というまだまだこれからという年齢で惜しくも亡くなっています。
 現在、龍太郎氏が在学していた津高校中庭には、平成2年津高110周年を記念して津高同窓会によって建てられた記念碑があり、「浜千鳥」の楽譜が刻まれています。また、アスト津4階アストホールのロビーには、昭和3年ドイツ留学の際に買い求め、龍太郎氏が愛用していたグランドピアノと、昭和初期発行の楽譜集が展示されています。

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