「広報津」平成25年1月16日/第170号(音声読み上げ) 歴史散歩(80)

登録日:2016年2月25日

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裏表紙

歴史散歩(80)

うじい青木遺跡出土の双耳壺[そうじこ]

 芸濃総合文化センター2階の芸濃郷土資料館に、芸濃地域のうじい青木遺跡から出土した縄文土器が展示されています。
 これらの縄文土器は、今から約4000年前の縄文時代後期の始めごろに作られたものです。今回紹介する双耳壺は、壺[つぼ]の口の部分は欠けていますが、肩の張った胴部がほぼ完全な形で残っており、胴部に付けられた一対の瘤状の突起(耳)には、これを刺し貫くようにして縦方向の穴が開けられています。
 壺を飾る文様は、この時代に流行した磨消縄文[すりけしじょうもん]と呼ばれる手法のもので、へらなどで刻んだ太い線で四つの渦巻き文を描き出し、線と線の間にびっしりと縄目を付けた部分と縄目を付けない部分を交互に配して文様を完成させています。また、興味深いことに、置くと見えなくなってしまう底面にも、なぜか文様が施されています。
 この壺は土坑[どこう](人によって掘られた穴)の底から出土したものです。口の部分は意図的に打ち欠いて取り払ったようで、供え物として埋められた可能性が高いと考えられます。このことから、この土坑は単なるごみ穴などではなく、例えばお墓のような、何らかの儀礼に関係した穴だったのではないかと考えられています。
 口の部分が欠けているとはいえ、ここまで形が分かる双耳壺の出土例は全国的にも珍しく、しかも、この壺の場合は、出土状況からその使用形態まで推察できる事例であることから、縄文時代の研究にとって貴重な資料でもあります。
 うじい青木遺跡がある安濃川上流域には、さらに古い時期の縄文土器が出土した北奥遺跡、石組みの炉をもつ竪穴住居がみつかった大石遺跡など、市内の代表的な縄文時代の遺跡が多く存在します。うじい青木遺跡を含むしゃくじょうヶ岳山麓の台地一帯は、縄文時代の人々にとって、恵み豊かな地であったと想像されます。
 一年のうちで寒さが最も厳しいこの時期、寒さにとらわれて、つい家にこもってしまいがちですが、資料館に足を運んで、かつてこの地にあった人々の営みに、思いをはせてみてはいかがでしょうか。

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