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経ヶ峰の北東に位置し、茶碗を逆さまにしたような山、それが摺鉢山[すりばちやま]です。この摺鉢山の麓の芸濃町うじいから小野平にかけての山中には、熊岳山仙幢寺[のうがくざんせんどうじ]という大伽藍[だいがらん]があったと伝えられています。この寺は、室町時代から戦国時代にかけて、伊勢国司北畠氏と中勢地域で争った長野工藤氏一族の菩提寺[ぼだいじ]で、当時この辺りを治めていた長野工藤氏の庶家、うじい氏との関係が深かったといわれ、慶長年間(1596年から1614年)ごろまでは存続していたようです。しかしその後廃絶したため、わずかな文書にその存在が記されるだけで、その創始や規模は、ほとんど分かっていません。
この寺があったと考えられている辺りに、その名残りといわれる石造物「千度坊の十五体地蔵」が残っています。小野平の集落の外れにある墓地から山道を進むと、「ショウベン地蔵」と呼ばれる石の地蔵があり、さらにその先に千度坊の十五体地蔵の案内板が見えてきます。案内に従って進むと、右手の高台に15体の地蔵が彫られた大きな自然石が、ぽつんとその姿を現します。この地蔵は、いずれも薄肉彫りされた立像で、その周りには光背が彫りくぼめられ、長年の風化でその表情は分かりにくくなっていますが、足元には台座があり、手にしゃくじょうを持ったり合掌したりした様子を見ることができます。
寺の建物は、はるか昔に失われ、その姿を見ることはできませんが、この地蔵たちは今も同じ場所に残り、この地の歴史の移り変わりを見守り続けています。
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