「広報津」平成25年3月16日/第174号(音声読み上げ) 歴史散歩(82)

登録日:2016年2月25日

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裏表紙

歴史散歩(82)

伊勢電気鉄道の名残 津おき橋

 岩田川河口に架かる津おき橋は、市内の他の橋とは明らかに造りが違います。これは、もともとあった伊勢電気鉄道の岩田川鉄橋にアスファルト舗装を施して、自動車が通れる橋として利用しているからです。
 現在、伊勢電気鉄道をしのばせるものは、安濃川鉄橋の橋台の跡や、アスト津東側のバス待機所にある部田駅の一部など、わずかしか残っていません。その中でも、かつて鉄道が通っていたことを最も感じさせる場所が、津おき橋です。
 伊勢電気鉄道の歴史を振り返ると、その前身に当たる伊勢鉄道が明治44年に創立され、大正4年に一身でん町駅(後の高田本山駅)と白子駅の間で営業を開始しました。その後、路線の延長を重ねて、大正13年には、津市駅(後の津新地駅)から新四日市駅までが結ばれました。伊勢鉄道は大正15年9月に伊勢電気鉄道に改称して、その年の12月から電気運転を開始させます。昭和5年には、桑名駅から大神宮前駅(現在の伊勢神宮外宮北側)まで、海岸沿いに県下の中心都市を南北に結び、人々に「伊勢電」と呼ばれ親しまれました。しかし、昭和11年に参宮急行電鉄に吸収され、伊勢電気鉄道の名は、わずか10年余りで消えてしまいます。
 その後、参宮急行電鉄は、昭和15年に関西急行電鉄と養老鉄道、その翌年に大阪電気軌道と合併して関西急行鉄道となり、さらには昭和19年に南海鉄道を合併して近畿日本鉄道となっていきます。そして、旧伊勢電気鉄道の路線のうち、新松阪駅と大神宮前駅間は昭和17年に、江戸橋駅と新松阪駅間は昭和36年に廃線となりました。
 現在、市内にある路線跡の大部分は、通称近鉄道路と呼ばれ利用されています。かつて鉄橋を渡る電車の音が響いていた津おき橋。時代が鉄道から自動車へと移り行く中で、自らの役目を変えながら、今も人々の足を支えています。

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