「広報津」平成28年2月16日/第244号(音声読み上げ) 歴史散歩(117)

登録日:2016年3月21日

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歴史散歩(117)

川口関[かわぐちのせき]と関宮[せきのみや]

 3月26日に6年半ぶりに全線復旧するJRめいしょう線。このめいしょう線が走る白山町かわぐち地内に「関ノ宮駅」があります。駅名はこの地域にあったとされる「古代の関」にまつわるもので、今回はこの関と川口の歴史について紹介します。
 関とは、軍事的な目的で東国と畿内の往来を管理するために設けられた施設で、県内では鈴鹿関(現在の亀山市関町)がよく知られています。今から約1300年前の奈良時代、川口にも関(川口関)が設けられていました。当時、大和から伊賀を経由して伊勢へと至る公的な道(官道)が通っていて、川口は伊勢・伊賀の国境付近にあたり、東国への出入り口として重要な場所と考えられていたのです。
 天平12(740)年、聖武天皇がこの道を通って伊勢国を訪れた際、川口に10日間滞在しています。『続日本紀[しょくにほんぎ]』には、川口に設けられた天皇の仮宮[かりみや](頓宮[とんぐう])が「関宮」と記されていて、川口関にほど近い場所にあったと考えられています。
 この川口関や関宮があった場所は明らかではありませんが、候補地として、関ノ宮駅の南に広がる丘上の医王寺付近が知られていて、ここには「聖武天皇関宮宮阯」と刻まれた石碑が建っています。また、奈良時代の古瓦が出土した白山中学校の辺りも候補地の一つで、これと同じ文様の瓦が出土する遺跡は、伊勢国では国府や国分寺など公的な施設に集中しています。
 その後、都が平安京に移ると官道は近江を経由して伊勢に向かうルートに変わり、国の役人や伊勢神宮に仕えた斎王もこの道を往復することになりました。しかし、斎王が役目を終えて京に帰る際に、川口から伊賀経由の道が使われることもありました。
 今年の春はJRめいしょう線に乗って関ノ宮駅で下車し、雲ず川の瀬音を聞き、京につながる古代の道を感じながら川口の地を訪ねてみてはいかがでしょうか。

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