「広報津」第250号(音声読み上げ)歴史散歩

登録日:2016年5月16日

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歩いて発見。津の魅力
歴史散歩 第120回

大里村の里程標(りていひょう)

大里野田町の民家の一角に、「大里村の里程標」が建っています。この里程標は、もとは大里小学校近くの県道410号、かつての伊勢別街道付近にあったようです。いつ頃からか行方が分からなくなっていましたが、名古屋市内の骨董店で偶然これを見つけた現在の持ち主が平成3年ごろに買い取り、自宅に建てました。

一辺が約25センチメートルの花崗岩製の角柱で、現在の高さは約170センチメートルありますが、建てられた当時はさらに深く埋められており、150センチメートルほどの高さだったと考えられます。里程標の正面には伊勢別街道が通る大里窪田町を起点に睦合、野田、小野田、山室のほか、三宅(現在の鈴鹿市三宅町)や下ノ荘(現在の亀山市下庄町)までの距離が、右側面には「明治二十四年九月建之」「大里村」などの文字が刻まれています。

明治21年に市町村制が公布され、翌年には、三重県下一斉に町村合併が行われました。この時、川北村・窪田村・小野田村・野田村・睦合村・山室村の6村が合併し、大里村が誕生しました。この里程標建立の発起人の一人として名が刻まれている「藤井新吾」という人物は、大里村の初代村長でした。また明治24年は、度量衡法により1.2キロメートルが11町(「丁」とも書く。1町は109.09メートル)と定められ、さらに、関西鉄道の津-亀山間(現在のJR紀勢本線)が開通した年です。

この里程標建立の詳しい経緯は明らかではありませんが、建てられた時期が6村の合併や新しい単位法の公布、鉄道の開通など、この地域も大きく変化した時期であり、そんな新しい時代の風が吹く中で、この里程標が建てられたと考えられます。

5月19日には大里窪田町とあのつ台の間に新たに県道が開通します。風薫る季節、古今の交通事情の移り変わりに思いをはせて、足を運んでみてはいかがでしょうか。


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