「広報津」第265号(音声読み上げ)表紙

登録日:2017年1月1日

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表紙

広報津 平成29年1月1日 第265号

ヨッサイヨッサイ!元取千本つき

写真 150年の伝統を受け継ぐ元取千本つきは五穀豊穣と人々の幸せを願う。餅のついたきねを突き上げる天壌餅は一番の見どころ。(11月13日元取公民館)

新年のごあいさつ

合併後のまちづくりを礎に、新たなビジョンへ

津市長 前葉 泰幸

あけましておめでとうございます。

皆さまにおかれましては、輝かしい新春を健やかにお迎えのことと心からお喜び申し上げます。

昨年は、新 津市誕生10周年を迎え、10の市町村の誇り高き決断によって成し遂げられた合併という偉業を受けて、市民の皆さまの幸せな暮らしを実現するために、やるべきことを全身全霊で取り組まなければならないと決意を新たにした年でした。

これまで、合併当時の期待や願い、想いを受け、合併という大きな構造改革によるメリットを活かしながら、合併時に取り組むべきとしていた多くのことを実現し、将来を見据え、新たにやるべきことについても時機を逸することなく取り組んできました。

その一端として、この春には、津市応急クリニックと教育委員会庁舎が完成します。平成26年度から着手していた一志中学校の大規模改造工事も終了し、西が丘小学校では校舎の増築により、プレハブ校舎も解消します。10月には産業・スポーツセンターもオープンします。

合併後の取り組みの中で、市民の暮らしをより充実させるため、合併時には想定していなかった事業も実を結びます。

美杉地域における地域医療の確保を目指し、新たな診療施設として、津市家庭医療クリニックを開設します。企業支援や企業誘致、創業支援をワンストップで継ぎ目のない総合的なものとする(仮称)津市ビジネスサポートセンターを創設します。

少子化や高齢化を伴う人口減少の進展、社会保障費の増加、インフラの老朽化に加えて、合併による財源に係る国の特例措置である地方交付税も平成28年度から段階的に縮減され、市民サービスの向上のために活用してきた合併特例事業債の償還もこれから本格化するなど、市政を取り巻く環境は厳しさを増していきます。

基礎自治体たる津市の責務は、いかなる状況下においても市民の皆さまの幸せな暮らしを実現することであり、それを守り続けることです。

今年は、新しい総合計画の策定を進め、合併後のまちづくりを礎にした新たなまちづくりのビジョンを市民の皆さまと共に描く重要な一年になります。市民の皆さまの幸せな暮らしの実現に向けたビジョンをしっかりと描いてまいります。

皆さまにとって、本年が笑顔あふれる一年となりますことをお祈り申し上げ、新年のあいさつといたします。

未来に向け発展し続ける津市を目指して

津市議会

市民の皆さま、新年おめでとうございます。希望に満ちた平成29年の新春をお迎えのことと心からお喜び申し上げます。

昨年は、熊本、鳥取を震源とする地震や北海道への台風襲来による災害が発生するなど、改めて自然の猛威を痛感した一年となりました。津市においては、災害により一部不通となっていたJR名松線が、関係各位はもとより地域の皆さまのご理解とご協力により、6年半の歳月を経て全線復旧いたしました。また、防災物流施設の建設、さらには、海岸堤防、(仮称)香良洲高台防災公園、新しい応急診療所の完成に向けた槌音が響くなど、折しも新 津市誕生10周年の節目にふさわしく、安全・安心のまちづくりが着実に進んだ一年でありました。引き続き、市民の皆さまの安全・安心のための施策の実施に向け、活発な議論を展開してまいります。

さて、わが国は、少子化、高齢化による人口減少社会の渦中にあり、政府においては、一億総活躍社会の実現と銘打ち、子育てや介護の環境整備に向けた取り組みが進められています。地方においては、こうした国の動向とともに、地方が直面している厳しい地域経済、財政状況の実態を踏まえながら、行政を展開していかなければなりません。

今、津市では、平成30年度からスタートする次期総合計画や都市マスタープランの策定が進められています。津市議会では、こうした新たな津市のまちづくりの方針が、将来にわたり市民の暮らしを支える行政サービスの持続的な発展につながるよう、36人の議員全員が目を光らせ、行政のチェック機能としての役割を適切に発揮していくとともに、議会の総力を結集して、未来の津市の方向性をしっかりと議論してまいります。

同時に、その議論を市民の皆さまに、より分かりやすく発信していくための取り組みも進めます。昨年12月の第4回津市議会定例会から議会映像がスマートフォンでも視聴できるようになりました。ぜひ、津市議会ホームページをご覧いただきたいと存じます。併せて補聴器をしている方が会議をクリアな音声でお聴きいただけるよう、傍聴席に磁気誘導ループを設置いたしました。

今後とも、議会運営の改善に不断の努力を続けつつ、津市の未来の発展に向け、皆さまとともに歩んでまいります。

この一年が市民の皆さまにとりまして、輝かしい年となりますことを、心からお祈り申し上げます。

第29回市長対談 輝かしい未来へ ジャンプ!!

津市スポーツ栄誉賞受賞 前川かえでさん 津市長 前葉泰幸

平成28年11月7日、津市スポーツ栄誉賞を受賞された前川かえでさんをお迎えし、リオ2016パラリンピック競技大会のエピソードや、陸上競技に懸ける思いを前葉泰幸市長が伺いました。

世界との差を肌で実感かけがえのない財産に

市長 津市出身の前川かえでさんはリオ2016パラリンピック競技大会の陸上競技女子走り幅跳び T42 で4位入賞、女子100メートル T42 で7位入賞という素晴らしい成績を収められました。津市はこの活躍をたたえ津市スポーツ栄誉賞を前川さんにお贈りしました。
  最初にパラリンピックの話から伺いたいと思います。走り幅跳びの方ですが、1回目がファール、2回目が2メートル89と、あまり数字が出ていなかった中で3回目はひょっとすると決勝に進めないかもしれないというプレッシャーがあったのではないでしょうか。どんな気持ちで臨まれましたか。

前川 3本目は絶対に跳んでやる、跳ばないと日本の友達や家族に合わせる顔がないと思って、頑張りました。

市長 強い気持ちが見事にいい跳躍となって3メートル50が出ましたね。それまでの自己ベストは何メートルですか。

前川 3メートル34です。

市長 ここ一発というところで勝負強さを発揮されたんですね。それから4回目にさらにいいジャンプが出ました。

前川 3メートル68ですね。決勝に残れた安心感で4本目は気持ち良く跳べました。

市長 これは日本新記録であり、アジア新記録でもあるんですね。初出場で4位入賞という成績はいかがですか。

前川 もう少し攻めていこうかと思いましたが、5本目はファール、6本目は数字が出ませんでした。それでも最高に楽しくて、すごくいい経験をさせていただきました。

市長 その走り幅跳びの1週間ほど後の100メートル T42 の予選は自己ベストの17秒05でしたね。

前川 予選は決勝と同じ日だったのですが、全力でいきました。

市長 決勝は17秒39で7位入賞でしたが、予選と決勝の雰囲気は違いましたか。

前川 決勝に残らなければ、という気持ちもあって予選の方が緊張しましたが、予選も決勝も、すごく楽しく走ることができました。17秒05という記録にも満足しています。16秒台を出したかった思いもありますが、あの舞台で自己ベストを出せて本当によかったです。

市長 パラリンピックで世界の強豪と競い合うというのは素晴らしい経験でしたね。

前川 ハイレベルな世界の選手たちと一緒に走れる機会はありがたいことで、本当に楽しかったです。

市長 伝わってくるものはありましたか。

前川 海外の選手は義足の使い方やアップの方法が私たちと違い、良い研究材料にさせていただきました。

市長 観客の雰囲気はいかがでしたか。

前川 走り幅跳びの日は土曜日だったこともあり満席で、ジャポン、ジャポン というコールが起こりました。

市長 自分の気持ちも盛り上がりますね。

前川 日本だと観客が身内と友達くらいしかいなくて本当に少ないんです。大勢の観客の中でできるというのは、本当に幸せでした。

市長 パラリンピックならではの雰囲気だったわけですね。
  さて、走り幅跳びも100メートルも、もう一人の日本人選手である大西瞳選手とともに決勝に進んで、一緒に入賞されました。先輩でありライバルでもありますね。

前川 大西選手がいたから陸上を始めたようなもので、瞳さんの背中をずっと追い掛けてきました。その大好きな先輩と今こうして競い合っていることは、私にとってとても大きな意味があります。

市長 年齢は2倍くらい離れていますが、尊敬する先輩なんですね。

前川 姉のような存在で、大好きです。

市長 さて、前川さんは中学3年生の時に交通事故に遭われたそうですが、お辛いと思いますけれども事故当時の様子をお話しいただけますか。

前川 私はバスケットボールを5年間やっていて、中学3年生の夏の総体の1週間前に交通事故に遭いました。愛犬の散歩中に歩道を歩いていて、車道を挟んだ向かいの駐車場から突進してきた車と壁の間に挟まれてしまいました。

市長 バスケットボールに打ち込まれていた当時、障がいを持つようになるとは全く想像だにしていなかったわけですよね。義足になってからもスポーツをしたいという気持ちはあったのですか。

前川 事故に遭った瞬間からもう一回みんなとバスケットボールがしたいと思いましたが、陸上競技をする気は全くありませんでした。最初は車いすバスケットボールをやろうかと考えていました。

市長 車いすバスケットボールについては、津市職員の前田浩司が前川さんをお誘いしたと伺っています。前田は三重県障がい者スポーツ協会の会長ですが、車いすバスケットボールのコーチをしています。車いすバスケットボールを検討され、最終的に陸上競技を選ばれるまでにどのような経緯があったのですか。

前川 車いすバスケットボールの見学に行ったりもしましたが、同じ世代の女の子がいませんでした。女子のチームは愛知県にしかまだないとお聞きし、迷っていたときに大西選手から陸上競技に誘っていただきました。

市長 陸上競技では当然、義足で走ったり跳んだりするわけですが、そこには健常者からは想像できないような難しさもあるんでしょうね。

前川 走れるようになるまで、半年ぐらいかかりました。

市長 半年もですか。

前川 普段使用する義足と、競技用の義足では感覚が全く違うので、体重の掛け方やタイミングの取り方がかなり難しくて。慣れないと分からないことがたくさんありました。

市長 トレーニングはやはり専門のところで行い、一緒に練習するチームもあるんですね。

前川 大和鉄脚走行会というチームなのですが、みんなが陸上をしに来ているわけではなく、義足になったけど、走り方が分からないとか、義足の友達が欲しいとか、そういった理由で来ている人もたくさんいました。小さな子どもから80過ぎのおじいさんまでいろいろな年代の人が、義足を装着して楽しく走ったり、サッカーをしたりして義足に慣れ、義足の面白さを共有するといったチームです。陸上を始めるようになってからは、その練習だけでは物足りないということもあり、チームの一部の人たちと一緒に毎日練習するようになりました。

市長 前川さんは義足と非常にうまく付き合って芸術品だとおっしゃっているそうですね。あえて見せていく、そういう心境になったきっかけはなんでしょうか。

前川 義足になった当初は、本当に痛みがひどく、そういうことを考える余裕はありませんでした。痛みが引いてから、これから義足とどう向き合っていけばいいのか、大西選手や大和鉄脚走行会の皆さんに相談したところ、できないことなんかないよ、と皆さんから教えていただきました。実際、誰かができることは自分もできるんだと思えるようになりました。今はスノーボードなどにも行きますし、好きな旅行にも出掛けますし、義足になってからの方が、移動距離が長くなった気がします。

市長 なるほど。義足は疲れないということですか。

前川 たくさん歩くと痛くなるときもありますが、健常者が長く歩いたときに足の裏が痛くなるのと同じ感覚です。

市長 自分の体と義足が一体化しているようですね。障がいというよりも、そういう状況をあるがままに受け入れておられる、素晴らしい精神的な強さをお持ちですね。スポーツにしても障がい者のスポーツを特別のものと見るのか、それとも普通のスポーツとして捉えるのかだと思います。

福祉ではなくスポーツ見たまま感じて欲しい

市長 パラリンピックで伸びやかに体を動かし、きらめく姿を見せてくださった前川さんですが、私、実は津市スポーツ栄誉賞の表彰式で、前川さんのことを、前川選手は津市の障がい者スポーツの大きな1ページを開いた。しかもそのページは明るく輝かしいものだ、とご紹介しました。というのも、障がい者スポーツをどんなふうに見ればよいのか、少なくとも過去において多くの方が迷っていたと思うんですよね。例えば、大変だとか、あの障がいをどう乗り越えていくのだろうとか、そういう特別なまなざしで見てしまうことがあったかもしれません。パラリンピックは、同じ条件を持ったアスリート同士の競い合い、つまりスポーツの祭典ですよね。福祉の祭典というよりも、スポーツの祭典なのだからオリンピックと同じようにスポーツを楽しむ感覚で楽しめばいい。もちろん、スポーツする側も自然な形でスポーツしようという気持ちに至るまで、いろいろな過程があったと思いますが、障がい者スポーツの見方そのものが変わりつつあると思いました。

前川 本当に見たまま感じていただければいいかと思います。義足や耳が聞こえないのに走るとか、目が見えないのに全力ダッシュするとか、車いすで疾走するとか、見ているだけで本当に格好良い、そう思っていただけたら、私たちにとって一番うれしいことです。スポーツとして楽しんでいただけるのも本当に喜ばしいことですが、ハンディを負いながらもということではなくて、ハンディを、めっちゃ格好良くない?という感じで見てもらえるとすごく幸せですね。

市長 津市は平成33年に国体を迎え、同じ年に全国障害者スポーツ大会も迎えます。行政組織の中では障がい者スポーツ大会は、福祉の部局が担当することが多いのですが、私たちはどちらの大会も最初からスポーツの舞台として整えて、熱い戦いを繰り広げていただきたいと考え、平成28年4月に国体・障害者スポーツ大会準備室を設置しました。健常者も障がい者も同じようにアスリートとしてのチャレンジを見せていただきたい。

前川 本当にうれしいことです。福祉という捉え方ではなくて、スポーツの一つとして、全国の皆さんに見ていただきたいです。

市長 前川選手のこれからの目標、夢、2020東京パラリンピックに懸ける思いをお聞かせください。

前川 リオでは自己ベストでも4位・7位という結果に終わったので、東京では自己ベストを出して、メダルも取りたいと思っています。

市長 2020東京パラリンピックで前川選手の勇躍される姿を大いに期待しています。津市民、全力で応援してまいります。

津市スポーツ栄誉賞受賞  前川 かえでさん

平成10年2月24日、津市生まれ。育生小学校、橋南中学校、津東高校を経て愛知医療学院短期大学入学。リオ2016パラリンピックに出場し、女子走り幅跳びT42 4位入賞3メートル68アジア新記録樹立、女子100メートル T42 7位入賞17秒05。チームKAITEKI所属。


 

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