「広報津」第291号(音声読み上げ)表紙、第38回市長対談

登録日:2018年2月1日

このページは、音声読み上げソフトウェアに対応するため、語句のなかで一部ひらがなを使用しています。


表紙から5ページ目まで

表紙

広報津 平成30年2月1日 第291号

津よい心 明るい未来

写真 サオリーナで開催された平成30年津市成人式。新成人の皆さんは晴れやかな表情でこの日を迎えました(1月7日)

第38回市長対談 考えて考えてさらに考えて考える

株式会社 電通 CMプランナー しのはら まこと さん
津市長 前葉泰幸

平成29年11月4日、津市美杉町川上の出身で話題のCMを数多く手掛ける株式会社電通のCMプランナー・篠原誠さんをお迎えし、CM制作の創意工夫やアイデアの秘密、ふるさと津市での思い出などについて前葉泰幸市長がお話を伺いました。

世の中にある全ての商品・サービスは発明品ばかり

市長 CMプランナーとはどんなお仕事ですか。

篠原 言葉のままCMをプランニングする人なのですが、分かりやすく言うと、絵コンテという4コマ漫画のようなものを描いて、セリフやキャスティングなども全て自分で考える、CMの企画立案から制作まで担当する職種です。

市長 篠原さんがお作りになった代表的なCMをご紹介いただけますか。

篠原 一番オンエア量が多いものですとauの三太郎シリーズ、ピンクレディーのユーフォーという曲に乗せて展開しているUQコミュニケーションズのUQモバイル、家庭教師のトライ、エステーの消臭力、キリンの一番搾りなどです。

市長 皆さんの頭の中にすぐに浮かぶようなCMばかりですけれども、さらにそのCMで流れる楽曲の作詞家という面もありますね。

篠原 作詞家というわけではありませんが、たまたまCMソングの歌詞を書く機会に恵まれ、CMを飛び出して楽曲として皆さんに聞いていただけるようになりました。

市長 紅白歌合戦で歌われた海の声や、みんながみんな英雄などの作詞ですね。歌ってみましょうか。海のー声がー知りたくてー君のー声をー探してるー。

篠原 何て気さくな市長さんなんですか(笑)。ありがとうございます。私の方が照れてしまいます。

市長 同じ津高校出身の10年後輩であり、今や日本を代表するCMプランナーの篠原さんですが、美杉町川上で生まれ育ったということが作品のオリジナリティーに何か影響を与えていると思われますか。

篠原 たまたまCMプランナーになったというのが本当のところなんです。広告代理店を志望した理由は、大学時代にマーケティングというものに初めて触れ、物を売ったりサービスを広げたりすることを戦略的に考えていくことが自分の中ではすごく新鮮で、いろいろな会社のマーケティングに携わりたいと思ったからです。
入社時は営業職を志望しましたが、配属先はクリエーティブという全く門外漢の部署でこれはまいったなあと思いました。どうやったらCMを作れるのか日夜考えるようになり、その過程で美杉で生まれ育ったことが自分に影響を与えているということはすごく感じます。

市長 一橋大学商学部で学ばれたことが大きく影響したということなのですね。

篠原 当時、竹内弘高先生のマーケティングの講義はすごく実践的でわくわくしました。こうやって世の中の全ての商いが動いているんだなとよく分かりましたし、ゼミも実際に企業の具体的な課題を調査・分析し、新たな戦略を提案するという実践的な内容だったので、これをもし仕事にできれば面白いのではないかと思ったわけです。

市長 それはコンサルティング業界か広告業界ですね。

篠原 まさにそうです。コンサルティング業界に行こうか広告代理店にしようか迷ったわけですが、経営戦略というよりもっと実地に近い戦術的なことに携わりたいと思い広告代理店を志望しました。

市長 私ども自治体も広告代理店からすれば、もっとこうしたらいいのにと思われる相手かもしれませんね。津市ではプロモーションビデオ つがない世界を作ったんです。

篠原 拝見しました。自治体で作られる動画をたくさん視聴する機会があって、その時にあっ地元だ!と思いました。面白かったです。

市長 行政側からするといろいろ議論がありましたが、いっちゃえ!と思い切って発表したところずいぶん話題になりました。

篠原 結構再生されていましたね。

市長 広告を依頼するクライアントの商品やサービスは多岐にわたると思うのですが、提案するときはクライアントの方に合わせるのでしょうか、それとも少し違った角度から考えるのですか。

篠原 どちらの視点も持っておかないと怖いですね。世の中にあるどの商品もどのサービスも本当にすごい発明品ばかりなんです。この発明品がどうすれば世の中で売れるかを考えるとき、最初に商品やサービスに寄り添います。ただ、商品やサービスの良さは結局、受け取った世の中の人が決めることなので、商品をとことんまで見つめたその後で世の中を見ます。クライアントは商品を作ったり販売したりしているので、向かうべき方向は一緒なんです。商品に寄り添い、そして世の中に寄り添った時点で、結果としてクライアントに寄り添う形になると思います。

市長 例えば三太郎シリーズの場合、どのようにして他の携帯電話会社との違いを表現しようとされたのですか。

篠原 他社と差別化戦略をとることが常道ではありますが、当時世の中は通信に関してどこも同じではないかという空気がありました。本当はちゃんと見れば全然違うのですが。商品やサービスには必ず微差があります。しかし、アイフォンがどこでも使えるようになった瞬間にどこの携帯電話会社もだいたい同じくらいの料金で同じようにどこでもつながるようになって、世の中の人はとりあえずあの会社は何となく信頼感があるとか何となく面白いとか、そんなぼんやりしたイメージで違いを感じとるようになったようです。商品が同じくらいのレベルだったとき、みんな何を基準に選ぶのかというと、人間って、何となく好きで選ぶんですよ。

市長 なるほど、そうかもしれませんね。

篠原 特に若い人たちはそれが顕著で、どうして選んだのか尋ねると、好きだから。三太郎シリーズを考えたときは、世の中の全員が何となくauが好きだとどうやったら思ってもらえるかということが大前提として大事だと考えました。そうなると、人柄として、おもかわいい、面白くてかわいい存在がいいのではないかと推測したわけです。立食パーティーなどに行くと盛り上がっているところがありますよね。それほど格好いい人がいるわけでもなく頭がいいとか偉い人がいるわけでもなくて、ちょっと面白い人がいるんです。カラオケでも歌はうまくはないんだけれど、おもかわいい人がいる方が楽しかったりする。auという会社がそう思われるにはどうすればいいのかを考えました。

市長 個人的には、三太郎のCMで金太郎を金ちゃん、桃太郎を桃ちゃん、浦島太郎を浦ちゃんと呼んだ時点ですでに面白いと思うんです。あの三太郎シリーズのストーリーは、すでに頭の中の引き出しにいっぱい入っているものを順番に出してくるイメージなんですか。それともアイデアが重なってくるものですか。

篠原 重なっていくイメージですね。最初の構想は、かぐや姫が途中で出てきて桃太郎と結婚すれば面白いかな、そのうち乙姫も出てきて浦島太郎と恋仲になるだろうな、などとざっくりしたものでした。1年間分くらいは何となくこういうストーリーで進んで行くのだろうなというものがありましたが2年目以降はその時々で加えていく感じでした。

浮かぶというイメージよりアイデアは作る掘る考える

市長 こういった面白いお話を伺っていると篠原さんは特別な才能をお持ちだと皆さんから思われそうですが、それに加えてよくお考えになっているのではないかと感じます。やはり考え抜くタイプですか。

篠原 どうしたらアイデアが浮かぶのかということをよく尋ねられるのですが、アイデアは浮かばないんです。アイデアは考えるとか作るとか掘るといったイメージが強くて、そういう意味で本当にしっかり考えます。考えて、考えて、考えて、考えた揚げ句まだあるんじゃないかと探しまくって考えて、考えて。考え抜いた中からどれがいいか一番を選ぶ作業をして、それでもまだ暫定1位なので、また考えて、考えて、考えたものを暫定1位と戦わせると、たまにそれが勝ったりするんです。今までずいぶん考えて生まれたアイデアに勝つアイデアがまだ出たということは、これに勝つアイデアがまだ出るのではないかとさらに考えて、考えて、正直時間いっぱいまで考えて、その時点で自分が正解だと思えるものを提案するという結構泥臭いことをしています。センス良くアイデアが生まれることは本当にありません。

市長 極限まで突き詰めておられるわけですね。

篠原 スポーツに近いかもしれません。毎日走り込みを続けると足が速くなるのと一緒で、1週間も休むとアイデアが全然浮かばなくなります。

市長 篠原さんのご活躍に憧れる津高校の後輩や津市の若者も大勢いると思いますが、ひたすら努力し挑戦を続ける姿も別の意味で格好いい。そんな篠原さんを育んだ美杉町川上ですが、当時は小学校がいくつかありましたね。

篠原 7つありました。

市長 川上の小学校時代はどうでしたか。

篠原 複式学級だったのですが、毎日すごく楽しかったですね。授業はもちろん普通にありましたけど、テストなどもあまりなく、圧力がありませんでした。

市長 先生は児童がどこまで理解しているか大体把握していたのでしょうね。

篠原 私の学年は6人しかいませんでした。下の学年が4人で上の学年が8人。複式学級で一番多いときは14人のクラスでしたが、人を測るものがほとんどなく相撲が強いとか、足が速いとか、釣りが上手いとか、虫に詳しいとか、それぞれの得意分野が多岐にわたり勉強もその中の1つという感覚でした。人に対する評価基準というものが多様で競い合うことがなかったように思います。

市長 津市では小規模校が増えてきています。そういったところは、今後子どもたちの教育に関する大きなポイントかもしれませんね。中学校は美杉中に進まれましたね。

篠原 7つの小学校から1つの中学校に生徒が集まりました。

市長 世界が一気に広がりましたね。

篠原 当時の美杉村では、川上が一番の田舎だと言われていました。美杉中に進んだ時に田舎者だと言われたのですが、美杉村の中で田舎者ということ自体、田舎オブ田舎だと考えるとちょっと面白かったですね。

市長 美杉の都会の子は自分とは違いましたか。

篠原 いや、同じでしたね(笑)。でも、友達が一気に増え面白くなりました。それまでは、サッカーをしても5人対5人とか、野球をしてもワンベースか多くて1・3塁しかありませんでした。人数が増えると団体スポーツができるので楽しかったですね。

市長 さらに美杉中から旧津市内の津高校に進学されて、世界がどんどん広がります。

篠原 井の中の蛙ではつまらないと常々思っていました。私には、2人の兄がおりますが2人とも高校進学と同時に下宿しました。私の場合も一人暮らしでしたが、CDレンタルショップなど美杉にないものが全部あり、とても新鮮でした。生活費で自分の暮らしをマネジメントできるということがすごくうれしかった。それまではお小遣い制ではなくて欲しい時に買ってもらっていたのですが、欲しいものも釣り糸ぐらいしか選択肢がありませんでした。初めて自由にできるお金の使い道をあれこれ考えるのはすごく楽しかったですね。友達にも大変恵まれました。

CMが予想以上の反響 その経験をこれからも

市長 これまでお話を伺っているとどんどん篠原さんの世界が広がり、ご自身の世界を築いてこられたようです。作ろうとして作ったというよりも結果としてそうなった感じですね。

篠原 気付けばそうなっていたという感じです。

市長 今45歳とお若くていらっしゃいますが、これからの目標などをお聞かせください。

篠原 auのCMのおかげで私の仕事である広告を作ることから飛び出したような結果が出るということを経験させていただきました。例えばCM中に流れる、やってみようという曲の作詞をしたところ子どもたちから文化祭で使いましたとか、勇気づけられて歌っていますとか、自分が思っていた広告効果とは違った形のうれしい反響をたくさんいただきました。こういった体験が一つでも多くできるようなものを作っていきたいですね。もう一つは、小説です。小説家という職業にすごく憧れがありまして、自分も何か小説のようなものを書いてみたいと思っています。

市長 夢が広がりますね。明るい夢を届ける篠原さんのCMは、これからの人口減少社会においてとても価値あることではないでしょうか。ぜひ今後も精力的な創作活動を期待しております。

株式会社 電通 CMプランナー しのはら まこと さん

1972年生まれ、美杉町川上出身。津高校、一橋大学商学部卒。株式会社電通に入社後、コピーライターとして活躍。現在エグゼクティブクリエーティブディレクターとして働く。au三太郎シリーズなどのテレビCMを数多く手掛け、2015年クリエーティブ・オブ・ザ・イヤーを受賞。2016年のNHK紅白歌合戦で歌われた、桐谷健太が歌う海の声やアイが歌うみんながみんな英雄などの作詞も手掛ける。


 

次のページへ

第291号の目次へ

このページに対するアンケートにお答えください

このページは見つけやすかったですか?
このページの内容はわかりやすかったですか?
このページの内容は参考になりましたか?

このページに関するお問い合わせ先

政策財務部 広報課
電話番号:059-229-3111
ファクス:059-229-3339