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津市を東西に横断する国道165号を伊賀市に向かって西に進むと、青山峠の手前で垣内交差点に至ります。この交差点を右折し垣内川に沿ってしばらく進んだところに かいとじゅくがあります。
奈良と伊勢を結ぶ街道の一つである はせ街道は、峠の名前をとって青山越えと呼ばれたり、麓にある村の名前から あお越え、おやまと越えと呼ばれたりしていました。そして、青山峠の東の麓にある かいとじゅくは、峠を越える英気を養うため、また峠を越えてきた旅の疲れを癒やすために欠くことのできない宿場でした。かいとじゅくには、旅籠以外にも飛脚屋や火薬を扱う家などもあったといわれています。
天正3年(1575年)に薩摩の戦国大名の島津家久が はせ街道の かいと を通って参宮した記録がありますが、かいとじゅくがいつ頃形成されたのか定かではありません。ただ、江戸時代の地誌である せいようごれいいきょう によると、17世紀半ばごろには問屋が設けられるなど、この頃すでに宿場としての機能を果たしていたと考えられています。
また、明和9年(1772年)に執筆された すががさのにっき には、本居宣長が青山峠を越えて吉野に向かった際に かいとじゅくを通った記録があるほか、文化5年(1808年)には伊能忠敬が はせ街道のこの辺りを測量したことが伝えられています。
現在、街道としての役目は国道165号に移っていますが、30戸以上の屋号があったことが知られています。当時の面影を残そうと、中にはのれんや表札が掲げられている町屋があるほか、傍らには常夜灯や里程標などもあり、伊勢参宮でにぎわった当時をうかがい知ることができます。一度、かいとじゅくのまち並みを散策してみてはいかがでしょうか。
広報津6月16日号11ページに掲載しました歴史散歩145香良洲道のどうひょうの地図中、香良洲橋の通行止め期間に誤りがありました。正しくは2022年3月末(予定)までです。おわびして訂正します。
約30年前から戸木小学校の子どもたちに、サツマイモ栽培を教え続けてきた ぎさくさんは今年で104歳。平成25年、息子である よしてるさんにその役目を引き継ぎ、親子2代にわたって地域の子どもたちと交流を続けている。
地域に貢献したいという思いで始めた活動ですが、30年という長い間続けられたのは、子どもたちの、おじいちゃん、ありがとうという言葉があったからですね。収穫したサツマイモを焼き芋にして持ってきてくれたこともあります。子どもたちから元気をもらうのは長生きの秘訣でもあります。
何といっても、収穫のときの子どもたちの笑顔です。子どもたちが水やりをしたり、肥料をあげたりして大切に育てたサツマイモ。私たちもサツマイモが大きく育つよう、草抜きやツル起こしをしています。大変ですが、子どもたちの笑顔を思うと頑張れるんです。毎年子どもたちがくれるお礼の作文や七夕の短冊飾りは、我が家の宝物ですよ。
サツマイモの栽培では水やりを当番で協力しておこなったり、高学年が低学年に教えたりしています。この経験を通して、協調性があって、人の面倒を見られる優しい大人になってほしいです。また、大きな芋に育てるには肥料をやったり、定期的に草抜きをしたりして手を掛けることが大事です。子どもと同じで小さい頃に手を掛けることが大切だと思います。子どもたちにも大きな人間になってほしいですね。