「広報津」第371号(音声読み上げ)津市人権教育広報 あけぼの 第31号

登録日:2021年7月16日

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折り込み紙2

津市人権教育広報 あけぼの 第31号

令和3年7月16日発行

教委人権教育課 電話番号229-3253 ファクス229-3017

一人一人がありのままの自分で暮らせる社会をめざして

普段の生活の中で、例えば次のような出来事があったとします。

(ここから出来事)

ある日、家を建てている最中にとても強い風が吹き、大工が屋根から落下し重傷を負う事故が起こりました。知らせを聞いたその大工の娘Aさんは大変なショックを受けました。その日の朝も、Aさんが作ったお弁当を渡しながら、来週一緒にドライブに行く約束をしたところでした。

事故からしばらくして、人づてに事故のことを聞いたBさんから、お気の毒に、しばらくはお母さんと二人で力を合わせて頑張ってねと言われました。Aさんは、えっ、と不思議な顔をしました。

(出来事おわり)

さて、Aさんはなぜ不思議な顔をしたのでしょうか。皆さんはどのようなことを考えますか。

実は、この大工はAさんの母親だったのです。

Bさんは、大工は男性の仕事であるという固定観念から、重傷を負ったのはAさんの父親であると思い込んでしまっていたのです。

私たちはこれまで生活してきた中で、Bさんのように、マルマルだから、きっとマルマルだろうという捉え方を知らず知らずのうちに持たされてはいないでしょうか。そうした思い込みや偏見が、時には自分や人を生きづらくさせていることがあります。

性別や生まれ育った場所、障がいの有無、国籍などで生きにくさを感じることなく、誰もがありのままの自分で暮らせる社会をめざしていきたいですね。

今回のあけぼのでは、その思いを大切に活動している人たちの姿を通して、私たち一人一人が自分の中にある思い込みや偏見に気付き、ありのままの自分で暮らせる社会をつくるために、何ができるのかを共に考えていきたいと思います。

人権コラム スポーツにおける多様性

今年は東京2020オリンピック・パラリンピックが開催されます。

皆さんは、女性選手の参加が認められたのはいつからか知っていますか。これは近代オリンピックとして再開されてから4年後の明治33(1900)年第2回パリ大会からです。それでは、全競技で女性選手の参加が可能になったのはいつからかご存知でしょうか。冬季大会では平成14(2002)年ソルトレークシティ大会から、夏季大会では平成24(2012)年ロンドン大会からでした。第1回アテネ大会から実に100年以上が経過していました。

パラリンピックでは、夏季大会は昭和35(1960)年ローマ大会が、冬季大会は昭和51(1976)年インスブルック大会が第1回大会と認定されています。しかし、オリンピックと同一の都市で開催されるようになったのは、夏季大会では昭和63(1988)年ソウル大会、冬季大会では平成4(1992)年アルベールビル大会からでした。このように、今では当たり前と思われていることでも、変遷を重ねてきた歴史があります。

東京2020大会の大会ビジョンには、3つの基本コンセプトが掲げられていて、そのうちの一つが多様性と調和です。これは、オリンピック憲章の根本原則に基づき、人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無などあらゆる違いを互いに認め合うことで、世界中の人々が多様性と調和の重要性をあらためて認識し、共生社会を育むきっかけとなる大会にするという思いが込められています。多様な人々が参加することでスポーツを通して心と体を鍛え、文化・国籍といったさまざまな違いを乗り越え、友情や連帯感、フェアプレーの精神を持って互いに理解し合うことで、世界のさまざまな国の人が交流し、平和でよりよい社会を築いていこうというオリンピズム(オリンピック精神)をよりいっそう広げていける機会となるのではないでしょうか。

オリンピック・パラリンピックをきっかけに、多様性の観点からもスポーツを考えていければと思います。

一人一人が自分で人生を選択し、いきいきと生きることができる社会をめざして

男女格差や性の多様性が、ニュースなどで取り上げられる機会が増えてきました。しかし、私たちはまだまだジェンダー(社会的性差)にとらわれた生活をしてはいないでしょうか。三重県男女共同参画センター フレンテみえの所長である荻原くるみさんにお話を聞きました。

男女格差に関わる最近の社会の動きをどう思われますか

東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会での女性蔑視発言もあり、今あらためて日本における男女格差に注目が集まっています。各国の男女格差を示すジェンダーギャップ指数2021で、日本は156カ国中120位でした。その一方で、女性や弱い立場の人からの声は、少しずつ広がりを見せているように感じます。ミートゥー運動や医科大入試の女性差別などをきっかけに、性暴力やセクハラ、男女格差や女性差別に対する声が新聞やニュースでも多く取り上げられるようになりました。

私自身は、保育園の待機児童問題が国会で取り上げられたことが強く印象に残っています。一人の女性のやり場のない思いがSNSに投稿されたことをきっかけに、待機児童問題への社会全体の関心が一気に高まり、待機児童ゼロに向けての取り組みが進みました。昔ならかき消されていたかもしれない女性の声が、今は政治や教育、社会を変えていくのだと実感しました。

それでも、男女格差はなかなか埋まっていかない。なぜでしょうか

日本の男女格差の大きな課題は、政治家や企業などのリーダーに女性が少ないことといわれています。まずは一人一人の意識を変えていくことが必要だと思っています。

私は、比較的男女の格差が少ない学校現場で長年仕事をし、管理職にもなりました。そうした職場であっても、かつては体育担当は男の先生、給食担当は女の先生であることが多かったです。また、男性の育児休業について、私は特別に熱心な人が取るものと思っていました。しかし、フレンテみえでたくさんの人に出会い、学んでいく中で、私自身も、女は、男は、こうあるべきという無意識の偏見を持たされていたことに、あらためて気付かされました。男性の育児休業制度が今よりもっと普及していくことで、私たち一人一人が今まで知らず知らずのうちに持たされてきた性別役割分担の意識から解放され、それぞれに合った働き方・暮らし方を選択できるようになり、社会全体がより力を発揮できるようになっていくのだと分かってきました。

生きにくくさせられているのは女性だけではありません。男性の自殺者が多い理由には、男は弱音を吐くな、という価値観が社会にあることも指摘されています。社会学者の上野千鶴子さんの言葉に、フェミニズム(女性解放思想)は、決して女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です、という言葉があります。強かろうが弱かろうが、女性であろうが男性であろうが、一人一人がありのままの自分で生きられる社会を、私はつくっていきたいです。

今後の活動について聞かせてください

私たち一人一人の暮らし方、意識が変われば社会も変わる、そう思って活動を続けています。これからの社会をつくっていく若い世代のためにも、自分の中にある無意識の偏見を見つめ、自分を変えていけるような啓発の機会を広げていきたいです。

一人一人が性の多様性を認め合い、ありのままの自分で暮らしていける社会をめざして。現在の中学校の様子から

LGBTQや性的指向と性自認といった言葉をニュースやドラマで聞く機会が増えてきました。性は、からだの性、こころの性、好きになる性、表現する性、などの要素が組み合わさった多様なものです。10人いれば10通りの性があるともいわれます。

かつては社会のあらゆる場面で男性・女性の二つに分けることが前提となっていました。学校でも男女別の名簿が使われ、中学校では男子は技術科、女子は家庭科に分かれていました。しかし今は男女混合名簿になり、男子も女子も技術科・家庭科の履修が当たり前になっています。

そして現在、男女を分けずに、から、多様な性を認め合うことをめざした社会へと変わりつつあります。学校生活においても、男子制服・女子制服から性別を問わないスラックスセット・スカートセットなどに変更し、自分が好きな制服を自分で選べるようにした学校が増えてきています。学校を含めた社会のあらゆる場面で性の多様性が認められていく、その積み重ねによって社会全体の当たり前が変わり、一人一人がありのままの自分で暮らしていける社会をつくっていくことができるのではないでしょうか。

中学生の声

私は中学校に入学する前、制服のスカートをはくのが本当にイヤでした。でも、スラックスも選べるようになったと聞いて、とても嬉しかったです。採寸のとき、お店の人が、似合ってるよ、ステキやわ、と言ってくれたのも嬉しかったです。中学校生活が始まり、制服のことでからかわれたりすることもなく、自分の好きな制服を着て、毎日楽しく過ごせています。

誰もが安心して暮らせる社会をめざして。物語を読んで考えてみませんか

題名

ぼくがそばにいるよ

作者

人権教育課

内容

ぼくの名前はシロ。この家に来て5年になるんだ。ぼくには大切なかぞくがいる。とってもやさしいお父さんとお母さん、そして、ぼくととっても仲良しのお兄ちゃん。

でもね、お父さんが、新型コロナウイルス感染症っていう病気になってから、病気が治ってからも家族みんな元気がないときがあってね。ぼくはすごく心配で、一生懸命お父さんやお母さんやお兄ちゃんに話しかけたんだ。みんなやさしくしてくれたけど、なんだかとてもさみしそうだった。毎日行ってた散歩も行かなくなってしまって。

そんなある日、お兄ちゃんが、シロ、散歩に行こうって言ってくれたんだ。ぼくは、うれしくてうれしくて、お兄ちゃんの周りをクルクル回ったよ。久しぶりの散歩はとっても気持ちがよくて、お兄ちゃんも楽しそうに笑ってくれたよ。

ところが、いつもの公園に着いたとき、お兄ちゃんの笑顔が消えたんだ。どうしたんだろうって見ると、前にぼくたちに、コロナウイルス、と言って逃げていった友だちがいたんだ。またいじわるを言ったら、今度はダメって大きな声で言ってやるぞとお兄ちゃんの前に立ったんだ。すると、その子が近づいてきて、ぼく、毎日ここで君を待ってたんだって言ったんだ。お兄ちゃんが、どうしてと聞くと、友だちはこう話してくれた。ぼく、君にコロナウイルスって言って逃げたでしょ。あれから、ずっと心がモヤモヤしていた。君は何も悪くないのに、どうしてあの時あんなこと言ったんだろうって。君のお父さんだって病気にかかりたくてかかったわけじゃない。病気になって一番つらかったはずなのに、すごくひどいことを言っちゃった。あのときは本当にごめんなさい。

そう話すと、友だちの目から、涙がポタポタ落ちてきた。ぼくは、コロナウイルスって言われてからのお兄ちゃんをずっと見てきたから、どう思ったかなってお兄ちゃんの顔を見上げたんだ。しばらく黙ったまま、じっと前を見ていたお兄ちゃんは、こう言ったんだ。

ぼく、あれから学校へ行くのも、散歩に出るのも、とても怖かった。また、何か言われるんじゃないかって。でも、ある日お父さんが、そんなぼくを見て、ごめんなって言ってきたんだ。その時、ぼくはドキッとしてね。お父さんが元気になって、すごく嬉しかったのに、新型コロナウイルス感染症になって一番つらかったお父さんがごめんって謝るなんて。ぼく、自分のことしか考えてなかったなって思った。だから、ぼくはその時から、お父さんみたいな思いをする人がいないようにしようって心に決めたんだ。当たり前のことかもしれないけど、今ぼくにできることは、大切な人と一緒に喜びあったり、笑いあったり、悲しいときは一緒に悲しんだりすることで、安心して。ぼくはそばにいるよ。ってメッセージを送ることかなって思ったんだ。そう話すと、お兄ちゃんは友だちの方を向いて、ありがとう、ずっと待っててくれて。そう言って、笑顔で、君もぼくの大切な人だよ。また、サッカーしよう。と言って、お別れしたんだ。ぼくが後ろを振り返ると、友だちも笑顔になってたよ。

帰り道、お兄ちゃんは、来たときよりもずっと力強い足取りで歩いてたんだ。そんなお兄ちゃんに、ぼくはこう伝えたよ。お兄ちゃん、ぼくにとって、お兄ちゃんはとってもとっても大切な人だよ。ずっとそばにいるから安心してね。みんなが、お兄ちゃんのように、安心してね。そばにいるよ。ってメッセージを送れたら、きっとみんながつながって、笑顔いっぱいの世界になるねってね。

作者から

コロナ禍のもと、今まで当たり前におこなってきたことができなくなっています。でも、その中で改めて大切にしていきたいものが、色濃く見えてきた気がします。それが人とのつながりです。このような時だからこそ、人とのつながりを大切にしながら、誰もが安心して暮らせる社会をつくっていきたいですね。


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