「広報津」第453号(音声読み上げ)歴史散歩 第220回 津城かわら版10 廃城後の津城2、シリーズ人権 第109回 自らの偏見と向き合って、津市(このまち)で輝く

登録日:2024年12月16日

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歴史散歩 第220回 津城かわら版10 廃城後の津城2 大正期から現在まで

津城を取り囲む堀のうち、ぼら堀(南外堀の一部)や西外堀は大正時代になると埋め立てられ、大正15(1926)年には津裁判所前の内堀も半分が埋め立てられ宅地となりました。

昭和6(1931)年に藤堂家から津市へ土地の寄付があり、その後の市道建設や養正小学校運動場の拡張のために東内堀の一部が埋め立てられます。昭和14年、津城跡は都市計画法による風致地区としての「津城址風致地区」と都市計画公園としての「中央公園」となることが決定し、津城跡の保存と公園化が決まりました。しかし、第二次世界大戦の戦況の悪化により、その後の進展は見られませんでした。

戦時中の空襲で津市の中心市街地の7割が焦土と化し、津城跡周辺の戦後復興は焼け野原からのスタートとなります。昭和25年頃からは南内堀の埋め立てが開始され、広大な規模を誇った内堀は市街地化されます。この工事のためにトロッコ軌道を敷設して安濃川から土砂を搬入したといわれ、ここには昭和35年に旧津警察署が、昭和37年には旧三重県文化会館が建設され、本丸内にあった高山神社も昭和44年に埋立地の一角(現在の位置)に移転しています。

終戦から10年以上経過した昭和33年1月には、藤堂家所有の津城跡部分用地を津市が購入し、2月に津城跡が市史跡に指定されました。8月には戦後復興のシンボルとなる鉄筋コンクリート造の三層模擬櫓が完成します。この櫓は、津工業高校建築科を中心とした建築研究会の設計で、兵庫県の明石城の櫓をモデルとしたといわれます。建設費用は、総工費500万円のうち7割を地元商店街を中心とした市民からの寄付金で賄い、残りを市と県が負担しました。江戸時代にはこの櫓の建つ場所に、こうした三層の建物はありませんでしたが、国道23号からの眺望を考慮してこの場所に建てられました。当時の記念写真からは櫓の竣工を祝う関係者と市民の熱意が伝わってきます。

その後、津城跡の史跡指定範囲では櫓の建設にとどまらず、昭和42年から昭和45年にかけて本丸部分が洋風公園に、旧県立図書館移転後の西之丸部分が日本庭園に整備され、名称を「お城公園」として今に至ります。平成17(2005)年3月には津城跡(お城公園の範囲)が県史跡となり、津市の誇る歴史遺産としての価値が高まるとともに、今後の整備方針についての議論も始まっています。

次回の「津城かわら版(広報津2月16日号)」

廃城後の津城3 津城跡(お城公園)の緑

その他

「津城跡」に関する市民の皆さんのご意見を受け付けています。詳しくは市ホームページをご覧ください。

シリーズ人権 第109回 リスペクト アザーズ 自らの偏見と向き合って

今年は、夏季オリンピック・パラリンピックがフランスのパリで開催され、連日熱戦が繰り広げられました。人種や性別、宗教、国籍などが異なる選手が一堂に会し、自らの力を発揮し、戦う姿に感動しました。私はその中でも、体操男子の橋本大輝選手のある行動に心を打たれました。体操男子団体決勝の最終種目の鉄棒で、中国との熾烈な金メダル争いのなか、日本3人目の演技者である橋本選手が金メダル獲得に近づく会心の演技を披露し、会場内が大歓声に包まれました。そのとき、橋本選手は次に演技を行う中国の選手を気遣い、人差し指を口に当て場内に静まるように求めました。相手の失敗を願ってしまいそうな場面でも互いをリスペクトし、相手が演技に集中できるよう呼びかける姿がメディアで取り上げられ多くの反響を呼びました。

一方で、私はメディアの報じ方ひとつで偏った見方を植え付けてしまう場面もあるように感じています。私は子どもの頃、野球のWBCやサッカーのワールドカップ予選などがテレビで放映されると、家族みんなで日本代表の応援をしました。毎回応援に熱が入りましたが、いざ「日韓戦」となると試合前から異様なほどの対決の構図がメディアによって報じられることで、私は知らず知らずのうちに韓国に良い印象を持たなくなりました。その後、ニュースや新聞などのメディアで外交問題による日韓関係の悪化を目にすると、「日韓戦」の印象と政治の問題を結び付けて見るようになっていました。当時の私は、メディアで報じられている一面のみで物事を判断し、韓国にルーツのある人々のことを偏った見方で見ていたように思います。

その自分の見方が変わるきっかけとなったのは、社会人2年目に受講した在日問題やヘイトスピーチに関する研修でした。当時は、ヘイトスピーチ解消法は制定されておらず、各地で問題になりつつある頃でした。その研修では、ある地域の駅前で、拡声器を使い、特定の民族や国籍の人々に向けて過激な言葉で排除・排斥する人々の映像を視聴しました。日本でこのような活動が行われていることに衝撃を受け、さらに県内でも同様の活動が行われていることを知り言葉を失いました。なぜこのような行動に出るのか自分なりに考えているとき、在日問題についても韓国という国についてもほとんど知らない自分に気付きました。そして、韓国にルーツのある人々のことを偏った見方をしていた自分も心の中はあの人たちと同じなのではという考えに至りました。そんな自分を変えたいと思い、学び始めました。

私は、在日問題を含むさまざまな人権課題に関する研修に参加したり、実際に韓国にルーツを持つ人にお会いして実体験などを聞いたりしていく中で、自らの見方や考え方を見つめ直してきました。自分のルーツや価値観と違う人たちと実際に交流し、その人たちが大事にしていることや考え方に触れると「そんな考え方もあるのか」と自分の価値観が広がっているのを感じます。これからも社会の課題に関心を持ち、互いの文化や考えを知り、尊重できる自分でありたいと思います。

(30代・男性)

補足

ヘイトスピーチとは、特定の民族や国籍の人々を排斥する不当な差別的言動のこと

問い合わせ

人権課 電話番号229-3165 ファクス229-3366

津市(このまち)で輝く

ボリューム96 ヨガを通じ感じてほしい心身の調和、人との調和
ヨガインストラクター たかはし ゆみこ 57歳

プロフィール

1967年生まれ、神奈川県出身。美杉地域に興味を持ったきっかけは同地域を舞台にした映画「ウッジョブ!神去なあなあ日常」。津市やふるさと回帰支援センターに相談して移住。畑ではヤーコンやレンコンなどを栽培。

  • 農作業をしている時間が幸せ
  • 愛犬の名前はメンマとチャーシュー

美杉で出会えた自分らしい暮らし

たかはしさんはかつて横浜市で、ヨガ教室を主宰していた。ヨガは心と体の調和を主な目的とするもの。深く学んでいくうちに、都会を離れ、自然と調和した暮らしをしたいと思うようになった。映画がきっかけで好きになった美杉地域。この地の季節の移ろいを見たいと、夫婦で何度も足を運んだ。そして平成30年、移住が実現した。

(たかはしさんのコメント)「近所の人に引っ越しのあいさつをした時、ヨガ教室を始めることを話しました。あっという間に口コミで広がり、多くの生徒さんが集まってくれました」(コメント終わり)。強いつながりのあるコミュニティが存在していることを感じる出来事だった。

以来6年、ひとめぼれした古民家で暮らし、屋根裏部屋を改装したスタジオや公民館などでヨガを教えている。

(たかはしさんのコメント)「たくさんの人にヨガを体験してもらい、いつまでも健康で、もっと自分らしくいられるように力になりたい。教室が人との交流を深める場にもなれたら嬉しい」(コメント終わり)と思いを語る。

自身の移住経験を生かし、津市田舎暮らしアドバイザーとしても活動する。週末は道の駅美杉で移住者の相談に乗ったり、移住者同士の交流会を開催したりもしている。ヨガを通じ、人や自然と調和しながら、自分らしく生きる姿が津市にあった。


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