東京事務所長日記 令和3.6.10(名画・名作に見る津藩上屋敷)

登録日:2021年6月10日

~東京事務所長です~

 

東京都千代田区には、神田和泉町という地名があります。ちょうど千代田区立和泉小学校の隣あたりに津藩上屋敷があったことから、藤堂高虎が名乗った官位「和泉守」に由来しています。

この上屋敷の様子は、奇しくも幕末から明治にかけて名画と名作に描かれています。

 

幕末、歌川広重の弟子・歌川広景が描いた「江戸名所道外尽 十 外神田佐久間町」には、上屋敷前で、烏帽子を凧の糸に絡めとられた武士と、その様子を見て笑っている庶民の姿がユーモラスに描かれています。

 

そして、そこから15年ほどたった頃の様子が描かれているのが、文豪・森鴎外の名作「雁」です。

 

明治になると、上屋敷の北にあった医学所と横浜にあった軍事病院が上屋敷跡に移転し、大病院と称しました。そして名称をいくつか変え、明治7年東京医学校となりました。東京大学医学部の前身です。2年後東京医学校は本郷へ移転するのですが、その間、そこで学んだのが森鴎外でした。

 

「雁」には、 このように描かれています。

『灰色の瓦を漆喰で塗り込んで、碁盤の目のようにした壁の所々に、腕の太さの木を竪に並べて嵌めた窓の明いている、藤堂屋敷の門長屋が寄宿舎になっていて、学生はその中で、ちと気の毒な申分だが、野獣のような生活をしていた』

 

この文章と絵を見比べると、そこに暮らす人々こそ違えど、文章通りの絵が描かれているのがわかります。

 

こんなうれしい偶然があるのですね。

 

  

国立国会図書館デジタルコレクションより

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