登録日:2024年10月16日
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時代が明治へと移り、明治2(1869)年の版籍奉還で、それまで藩主であった藤堂たかゆきは藩知事となりました。その後、家督相続して藩知事となった藤堂たかきよは、明治4(1871)年7月の廃藩置県の後に罷免となり、旧藩主家は東京へ移住することとなります。
同年8月には、津城はひょうぶ省の所管となり、11月、城内にあった県庁舎(当時は津県)は城外に移され、それまでこの地域の政治の中心施設であった津城はその役目を終えました。
明治5(1872)年には、ひょうぶ省が陸軍省と海軍省に分離し、同年6月に太政官から陸軍省に対して「府県城塁取毀ノ儀ハ自今伺ヲ経、可致処置事(城の建物等の取り壊しは今後手続きを経た上で処置すること)」の通達を出しています。
その後、明治12(1879)年3月に外堀に沿うひらやぐら12棟などの入札・売却が行われ、津城外郭の景観が大きく変化したといわれます。続いて、明治18(1885)年には「櫓門等の公入札を達せられ、ついに愛知県名古屋の者金千有余円とかにて落札して払下ニ成る、これにより同年八月中旬より櫓たもんのとりこわちに掛る」(勢州津城櫓たもんすんけん記・津市史第三巻所収)とあり、本丸櫓やたもん等が入札にかけられ、名古屋の商人が千円余りで落札して払い下げを受け、その後取り壊されました。
明治22(1889)年には、陸軍省から城や堀の敷地の一切が旧藩主家に1万円で払い下げられ、再び藤堂家の所有となります。同じ時期に小田原城(神奈川)や高田城(新潟)、岡山城(岡山)なども旧藩主家に払い下げられています。これは、ゆかりのある旧城主家に城地を払い下げることで城の旧形を保存し後世に伝えることができ、歴史上の沿革を示すことにもなり好都合であるとの陸軍省の考えが反映されています。こうした流れを受け、明治25(1892)年には旧津藩士や子孫が連名で「津城跡保存請願草案」を藤堂家を通じて津市長に請願しています。その内容は、津城の城門やしょうえん(垣根や石垣)の崩壊毀却の中止を要請するものでした。
こうした請願の一方で、この頃から津城は外堀から埋め立てが始まり、外堀と内堀の間にも町家が建つようになって、明治26(1893)年には裁判所が岩田町から内堀北側(丸之内・現在の津地方裁判所の位置)に移転しています。また、明治34(1901)年には東外堀、明治41(1908)年には南北外堀の大部分が埋め立てられ市街地化が進みました。
廃城後の津城2 大正時代から戦前まで
「津城跡」に関する市民の皆さんのご意見を受け付けています。詳しくは市ホームページをご覧ください。
2009年9月8日生まれ。セントヨゼフ女子学園中学校3年生。2024年、マイナビジャパンカップ名古屋大会 BMXフラットランド・女子エリートの部準優勝。愛犬の名前は、自身のパワースポットであるお城公園にちなんで名付けた「おしろ」。
BMXフラットランドは、平らな地面で自転車を操り、時間内で技と技をつなげて魅せる競技。アクロバティックで芸術的な一連の流れの中で、独創性や難易度、完成度を競い合う。
よしむらさんとBMXの出会いは、4歳の時。BMXのショーを見て、「あれやりたい」と母に言ったという。幼い彼女の中に、初めて好奇心の火が灯った瞬間だった。翌週には自転車を買い、お城公園で乗り方を学んだ。以来10年、BMXは生活の一部となっている。
週5日、隣町のBMXスクールや自宅近くの広場で練習に打ち込む日々。思うように技が習得できず、苦しんだ時期もあった。そんな時、練習中に声をかけられた「上手になったね」。幼い頃から練習する姿を見守ってくれていた地域の人だった。その言葉が、自身の成長と応援してくれる人の存在に気付かせてくれた。(よしむらさんのコメント)「家族や友だち、地域の人、お城公園の高虎像にパワーをもらい、難易度が高い技にも臆さず挑戦できるようになりました」(コメント終わり)。そして今年6月、名古屋市で開催されたBMXの全国大会で準優勝に輝いた。
夢は、スポーツを通して夢や感動を与えられる選手になること。「世界で活躍して、社会に貢献できる女性になりたいです」。持ち前のチャレンジ精神を武器に、世界へと漕ぎ出していく。